藤井 風(ふじい・かぜ)さん
岡山県の方で、方言をまじえた歌詞も大きな特徴のひとつとなっており、インタビューでもご自身を「ワシ」とおっしゃる独特の雰囲気を持ってらっしゃいます。
私は、この曲をコロナ禍で聞きました。
2019年。
この年、今振り返ると自分を見つめなおす大きな岐路に立っていたと思えてなりません。
サラリーマン生活をしながらも
仏とは?修業とは?と自分と対峙する日々。
夏ごろ、家族間での問題
心機一転
住み慣れた土地を離れようとも思いました。
人を陥れ、欺き、陥れる。起きたことに向き合うことなく、陰口を、毒を垂れ流す
そんなものをこれでもかと見せつけられました。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)
2020年1月、日本初の感染者が。
2月、3月…
そして緊急事態宣言。完全に人の流れが止まりました。
閉鎖状況で、人とも会えない。出かけられない。
このコロナ禍で、それでも会いたい人は誰か。それでもやらなければいけないことな何か。この状況でできることな何か。
そぎ落とし、手放し、整理し、誰とどう関わって、どう生きてきたかを突き付けられた感覚になっていました。
憤り、やるせなさ
人の醜さ、恐ろしさ
自分の浅はかさ、見る目のなさ
積み上げてきたと思っていたものが、音を立てて見事に崩れ落ちる思いを、身をもって経験した後のコロナ禍。閉鎖が人との関わりを遮断してくれ、私を一人にさせてくれたとさえ思えました。
そんな時に何気なく聞いた藤井さんの《帰ろう》
「憎み合いの果てに何が生まれるの」自分中にあった悲しみや怒りに気づいてしまい、それを「許す」んじゃなくて「忘れよう」と。
勝手に涙が出ていました。
仏縁を頂いたことで、聖人君子にでもなれると思っていたのか?
恨みつらみなど、持つ訳ない!これしきで傷つくはずない!
想い込み・言い聞かせという自分で着ただろう鎧には、気付いていないひび割れが出来ていて、そのひび割れから芯の部分へ、歌詞が、音と共に染みました。
ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう
わたしが先に 忘れよう
十善戒の一つ。
不慳貪(ふけんどん):貪り(むさぼり)を離れ、自分の所有するものに執着しない
手放そう
忘れよう
何も持たずに帰ろう
<歌詞引用>アルバム「HELP EVER HURT NEVER」より
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