おかえりモネ

先日、第120話で最終回を迎えたNHK朝の連続ドラマ「おかえりモネ」。



東日本大地震前から現在までのお話で、震災によって住んでいた場所の被害だけでなく、心の傷を丁寧に描いた作品だったなと感じました。

たくさんある中で、第119話。

主人公の百音は妹の未知を誘って浜へ行く。震災の日、祖母を置いて逃げてしまい、自分を責めてを続けてきた妹に、百音が語り掛ける。  



百音:「みーちゃんがどうしても自分を許せないなら私が言い続ける。みーちゃんは悪くないって。記憶も、あの日、私たちを隔ててしまったものも消えない。だから、みーちゃんが何度も何度も自分を許せなくなるなら、そのたんびに私が言う。みーちゃんは悪くない。」

未知:「そんなの…言われたって無理だよ」

百音:「こんなことは綺麗事で何の役にも立たないかもしれない。でも言う。みーちゃんが思い出すたんびに、私が言う。」

未知:「消えないんだよ」
涙ぐみなら言う妹に、真剣な顔でまっすぐ見つめて百音は告げる。


百音:「みーちゃんは悪くない。絶対に悪くない。」

未知:「お姉ちゃん」
百音は未知をそっと抱き締めた。


祖母が空から語り掛ける。
「みーちゃん。もうね、忘れないって大事だけど苦しい。だから時々忘れて笑ってね」

主人公の百音と父は震災時、入試で島を離れていて津波には合いませんでした。妹に『お姉ちゃんは見てないもんね、、、津波』と言われました。幼馴染にはお前の言ってることは綺麗事だとも。震災以降、仲良かった2人には見えない距離が出来たまま。言葉にできない傷を抱えてきた2人があの頃の姉妹に戻れたシーンでした。



このドラマで何回も心に降ってくる台詞がありましたが、その中でも百音が言った


「こんなことは綺麗事で何の役にも立たないかもしれない。でも言う。みーちゃんが思い出すたんびに、私が言う。」


グッときました。


綺麗事でも、何の役に立てなくても、それでも伝えよう。私が救われたように、、、。

そう想っているんだと、この台詞で気づきがありました。


毎日15分見続け全てを見終わった達成感と主人公の成長や人生を垣間見たような感じが朝ドラの魅力の一つだと私は思っています。


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